奈良大和路~悠~遊~

奈良大和路の祭や伝統行事、四季折々の風景を 写真で綴るフォトブログです。大和は国のまほろば、神や仏に近しく 奥は深くて おもしろい!

川西町吐田 油掛地蔵 2016

油で黒光りのお地蔵さん

のどかな田園地帯の一角にぽつんと建つ小さなお堂。中に祀られているのは、油で黒光りする地蔵立像で、銘文から1523(大永3)年の造立(現地説明版)と伝わります。

このお地蔵さんは村人が泥田の中から掘り出して祀ったとか、クサ(できもの)を治癒する霊験あらたかなどの伝承があります。いつのころからか願掛けに際し油を掛ける習わしが広まり、黒光りで今や顔の造作もわからないほどですが、首に掛けた数珠はくっきりした地蔵石仏

油掛地蔵尊と親しんで花を供えたり手を合わせたり、信仰篤い地元の人々に祀られています。毎年7月の盂蘭盆会には油掛け供養(→こちら)が行われています。

関連記事(当管理者の関連写真記事へのリンク)
 ・川西町吐田 油掛地蔵盆 2014



吐田 油掛地蔵1
田んぼの一角に建つ吹き抜けの地蔵堂=撮影:2016/9/24 奈良・磯城郡川西町吐田(はんだ)


吐田 油掛地蔵2
オハギとお水を供えてお参りする老婦人=撮影:2016/9/24 奈良・磯城郡川西町吐田


吐田 油掛地蔵3
長年にわたって掛けられた油で黒光りする地蔵尊。舟型光背を持ち
像高61cm(台座含む)=撮影:2016/9/24 奈良・磯城郡川西町吐田


吐田 油掛地蔵4
黄金色に色づき始めた稲穂の海原に浮かぶ地蔵堂。中の油掛地蔵は吐田の人々に祀られ守られる一方、地域民を護るシンボル的な存在です=撮影:2016/9/24 奈良・磯城郡川西町吐田


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  1. 2016/09/26(月) 15:15:33|
  2. 大和路の石仏・石造物
  3. | コメント:0

当尾の石仏(3) 大門仏谷 磨崖仏

谷間にひっそり 当尾最大の磨崖仏

石仏の里として知られる当尾(とおの)。浄瑠璃寺の大門があったことから呼ばれる大門仏谷(ほとけだに)に当尾で最古最大の如来坐像磨崖仏(平安時代)が見られます。

高さ6m、幅5mほどの大岩に彫られた、いわゆる丈六仏。ふくよかな顔に豊かな肉付きの堂々たる姿ですが、大門仏谷に至る道は浄瑠璃寺への道から外れており、また谷を隔て木立や茂った雑草のために人目につきにくいようです。

先にもこの如来磨崖仏を取り上げましたが(→こちら)、晩秋の草木に彩られた姿をご覧ください。

関連記事(当管理者の関連写真記事へのリンク)
 ・当尾の石仏(1) 岩船寺付近の石仏
 ・当尾の石仏(2) 浄瑠璃寺・西小付近の石仏



大門仏谷 磨崖仏1
秋の装いの大門仏谷 如来磨崖仏=撮影:2015/11/19 京都府木津川市賀茂町北大門


大門仏谷 磨崖仏2
同上磨崖仏が彫られた谷向こうの大岩全体。谷への小道は雑草が
茂り、仏さんに近づくのが困難になっています=撮影:2015/11/19 
京都府木津川市賀茂町北大門


大門 石仏
おびただしい大門石仏群のなかのひとつ、石龕(せきがん)
地蔵石仏=撮影:2015/11/19 京都府木津川市賀茂町北大門


テーマ:石仏 - ジャンル:写真

  1. 2015/11/22(日) 20:32:47|
  2. 大和路の石仏・石造物
  3. | コメント:0

当尾の石仏(2) 浄瑠璃寺・西小付近の石仏

当尾の石仏(2) 浄瑠璃寺・西小付近の石仏

さまざまな石仏磨崖仏が点在する当尾の里。先に当尾の石仏(1)で岩船寺付近から浄瑠璃寺に向かう途中のカラスの壷までを紹介しました。

この項(2)では浄瑠璃寺・西小(にしお)付近でみられる磨崖仏石仏をアップします。未撮影の石仏を残していますが、これらは改めて別の機会に補う予定です。

関連記事(当管理者の関連写真記事へのリンク)
 ・当尾の石仏(3) 大門仏谷 磨崖仏
 ・当尾の石仏(1) 岩船寺付近の石仏
 ・柳生街道・滝坂道の石仏
 ・晩秋の当尾の里 2009



浄瑠璃寺付近 石仏1
「藪の中地蔵」と呼ばれる三体の磨崖仏(鎌倉中期)。阿弥陀如来(左)、地蔵菩薩(中央)、十一面観音菩薩(右)の三尊が林の道路よりにひっそりと佇んでいます=撮影:2008/5/6 京都府木津川市賀茂町


浄瑠璃寺付近 石仏2
釈迦寺跡(東小会所前)の「首切り地蔵」と呼ばれる阿弥陀坐像
(像高約1m、鎌倉中期)。名の由来は首のくびれが深く切れて
見えるから、また処刑場にあったからとも=撮影:2008/5/6 
京都府木津川市賀茂町


浄瑠璃寺付近 石仏3
笠石を載せた長尾阿弥陀磨崖仏(鎌倉時代)。浄瑠璃寺から少し下ったバス道の崖の上=撮影:2009/11/27 京都府木津川市賀茂町長尾


浄瑠璃寺付近 石仏6
谷越しに見える当尾で最大の大門仏谷如来坐像磨崖仏(像高約3m、平安時代)→こちらもどうぞ=撮影:2009/11/27 京都府木津川市賀茂町北大門


浄瑠璃寺付近 石仏4
周辺の石仏、板碑などを集めた大門石仏群=撮影:2009/11/27 京都府木津川市賀茂町北大門


浄瑠璃寺付近 石仏5
石龕(せきがん)仏の中には美しい姿の地蔵も見られる大門石仏群=撮影:2009/11/27 京都府木津川市賀茂町北大門

テーマ:石仏 - ジャンル:写真

  1. 2012/12/12(水) 14:32:10|
  2. 大和路の石仏・石造物
  3. | コメント:2

当尾の石仏(1) 岩船寺付近の石仏

当尾石仏(1) 岩船寺付近の石仏
  当尾の里で出会う野の仏たち

奈良県に境を接し京都府木津川市加茂町の山間部に位置する当尾(とお)の里。古くから奈良仏教の影響を強く受け、往時は多くの寺院が建立されていたと伝わります。しかし今に残りよく知られているのは浄瑠璃寺岩船寺、そして磨崖仏石仏のみ。

浄瑠璃寺から岩船寺まで約2Kmの山里の道を歩けば様々な石仏に出会るところから「石仏の里」として多くの人に親しまれています。

ご紹介すべき石仏が多いので、便宜上2つに分けたいと思います。
この項(1)では岩船寺付近から浄瑠璃寺に向かう途中のカラスの壷までを、続編(2)では浄瑠璃寺・西小(にしお)付近でみられる磨崖仏・石仏をアップします。

関連記事(当管理者の関連写真記事へのリンク)
 ・当尾の石仏(3) 大門仏谷 磨崖仏
 ・当尾の石仏(2) 浄瑠璃寺・西小付近の石仏
 ・柳生街道・滝坂道の石仏



岩船寺 石仏2
当尾の石仏の中で最も人気が高く「笑い仏」の名で知られる阿弥陀三尊磨崖仏(鎌倉時代)。微笑を浮かべた中尊の像高は約80cm=撮影:2012/6/24 京都府木津川市加茂町


岩船寺 石仏1
「眠り仏」と称される地蔵石仏は「笑い仏」の傍らの土の中。顔の彫が磨り減って不明瞭です=撮影:2012/6/24 京都府木津川市加茂町


岩船寺 石仏3
ミロクの辻の線刻弥勒磨崖仏(像高約2m、鎌倉時代)。
よく見なければ分からないほどに線刻は薄くなっています=
撮影:2012/6/24 京都府木津川市加茂町


岩船寺 石仏4
先の線刻弥勒磨崖仏の刻まれた岩の全体像=
撮影:2012/6/24 京都府木津川市加茂町


岩船寺 石仏5
高さ約2mの大岩の上部に彫られた三体地蔵。可愛い顔です(鎌倉時代後期)=撮影:2012/6/24 京都府木津川市加茂町


岩船寺 石仏6
憤怒の形相の不動明王磨崖仏(像高約1.2m、鎌倉時代)=
撮影:2004/11/22 京都府木津川市加茂町



岩船寺 石仏8
寄棟造りの屋根の石室の奥壁に彫られた重文・不動明王
石龕(がん)(鎌倉時代)=撮影:2010/6/26 
京都府木津川市加茂町


岩船寺 石仏9
カラスの壷の阿弥陀・地蔵二面磨崖仏(南北朝時代)。地蔵は岩の横に彫られている(下の写真を参照)=撮影:2010/6/26 京都府木津川市加茂町


岩船寺 石仏10
上の阿弥陀坐像の拡大。その右横、線刻の灯籠の火袋が深く掘り込まれており、実際に使われたようです。お賽銭が乗っています=撮影:2010/6/26 京都府木津川市加茂町


岩船寺 石仏7
横壁の地蔵尊=撮影:2004/11/22 
京都府木津川市加茂町


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  1. 2012/12/11(火) 22:59:35|
  2. 大和路の石仏・石造物
  3. | コメント:0

史跡頭塔と石仏 2012

見慣れないピラミッド型の土製の塔である頭塔

頭塔(ずとう)――耳にしたことあるでしょうか? かつて「謎のピラミッド」と話題になったこともあるとか。しかし観光コースからも外れ、奈良に居ても見たことのない人、知らない人が多いかも知れませんね。

その頭塔、東大寺南大門から南に約950m、民家に囲まれた一角に存在します。東からはホテルの奥にその姿を垣間見ることができ、南に回ると民家の屋根越しにこんもりした樹木の茂みが見られますが、その気でないと見過ごしてしまいます。

塔は版築による方形の土壇、1辺32m、全体の高さ約10m、7段の階段からなるピラミッド状の構造物。東西南北の奇数段各面に浮彫(一部線彫)の石仏が置かれています。華厳経の世界を表す立体マンダラであると云われます。

頭塔は国の史跡に、石仏22基は「頭塔石仏」の名称で一括して国の重要文化財に指定されています。

ところで聞きなれない名前の由来はどこにあるのでしょうか。
東大寺の僧・実忠が「土塔」(どとう)を築いたと古文書に記載があり、一方、ときの政争に巻き込まれ無念の最期をとげた高僧・玄肪(奈良時代)の首塚という伝説があります。

「どとう」がなまって「ずとう」と呼ばれ、玄肪の首塚伝説と重なって「頭塔」の漢字が当てられたもの考えられているようです。
なお実忠は、ご存知のとおり、東大寺二月堂の通称「お水取り」(修二会)を始めたお坊さんですね。

では、他に例をあまり見ない土塔がなぜ造られたか? 
一説によりますと、光明皇太后の病気の快癒を祈って、娘の孝謙上皇が発願したのではないかと云われています(奈良文化財研究所『史跡頭塔発掘調査報告書』)。

1986(昭和61)年度から12年間にわたる発掘調査の結果を踏まえて整備が行われ、2000(平成12)年度に完成。北半部は復元保存、南半部は発掘前の状態保存の形で残され、現在の姿となっています。

関連記事(当管理者の関連写真記事へのリンク)
 ・福智院 史跡頭塔にて玄昉忌 2016



頭塔1
北東隅より見た頭塔。奇数段には瓦葺屋根がつき、その下に石仏が配置されています。南側は発掘前の状態で木が茂ったまま。西側からは平城宮方向の眺望が極めて良好 撮影:2012/4/28 奈良市高畑町


頭塔2
南東隅から見た頭塔の上部。頂上部に見えるのは江戸時代に造られた五輪塔。基壇の一部は土留め柵 撮影:2012/4/28 奈良市高畑町


頭塔3
北面第1段中央の「浮彫如来及両脇侍二侍者像」 撮影:2012/4/28 奈良市高畑町


頭塔4
東面第1段中央の「浮彫如来及両脇侍二侍者像」 撮影:2012/4/28 奈良市高畑町


頭塔5
西面第1段中央の「浮彫如来及両脇侍二侍者像」 撮影:2012/4/28 奈良市高畑町

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  1. 2012/05/26(土) 22:48:26|
  2. 大和路の石仏・石造物
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プロフィール

Author:なわじゅん
・奈良県北部在住の男性です。1300年超の歴史に根ざす奈良大和の人々の信仰に支えられてきた神事・仏事や祭り、伝統行事、民俗を主に紹介しています。
・写真をご利用希望の方はメールフォーム(下段)からお問い合わせください。

次のHPも運営しています。
「野に咲く花たち」――身近に咲く花、高山に咲く花の写真、野草のウェブ図鑑

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