総別火と参篭を控え 諸堂を巡拝し娑婆古連に暇乞の挨拶より厳格な「総別火」入りを控えた25日、練行衆(新入を除く)は21日の社参と同様に別火坊を出て諸堂を巡拝します。しかしこの日は途中で本坊に立ち寄り、娑婆古練(しゃばこれん=参籠しない僧たち)に暇乞の挨拶を交わします。
巡拝を終えるといったん各自坊に帰り、娑婆でのくつろぎのひと時を過ごします。初夜(午後7時)までに別火坊にり、翌日から厳しい精進潔斎の日々、本業への諸準備を行います。
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東大寺二月堂 修二会(お水取り) 暇乞の社参 2014 ・
東大寺二月堂 修二会(お水取り) 社参 2017

本坊内で挨拶を交わしたのち、狭川普門別当をはじめとする娑婆古練の見送りを受けて本坊を辞す練行衆=撮影:2017/2/25 奈良市雑司町

夜の別火坊に戻る練行衆=撮影:2017/2/25 奈良市雑司町
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- 2017/02/27(月) 12:14:06|
- 2月の祭り/行事
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2月21日、練行衆の社参が終わったあとに行われる「注連撒き」と「注連掛け」。
二月堂修二会で使われる注連縄は幣と樒を挟んだ独特のもので神仏習合の色濃い
修二会を象徴するひとつです。
注連縄は遠敷社(おにゅうしゃ)と飯道社(いいみちしゃ)に供えて堂童子がお祓いしたのち、三重巻きにした「輪注連」を撒きます(注連撒き)。石段下で待つ童子がこれを受け取り、各練行衆自坊の門口に掛けます。このとき地面に落ちたものは“塵”として使いません。
一方、「注連掛け」というのは、ひも状の注連縄を
二月堂の石段、三昧堂横の石段、および中性院付近の参道に掛けて結界します。法華堂正面の石灯籠には輪注連を掛けます。このように
二月堂周辺(上院)への参入箇所に神道的な結界が張り巡らされます。
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東大寺二月堂 修二会(お水取り) 注連撒き・注連掛け 2013 ・
東大寺二月堂 修二会(お水取り) 注連撒き・注連掛け 2012

「注連撒き」 飯道社の石段上から撒かれる輪注連=
撮影:2017/2/21 奈良市雑司町

「注連掛け」 二月堂舞台の南西隅から法華堂北門に掛け渡します=撮影:2017/2/21 奈良市雑司町

三昧堂(四月堂)横の石段に掛かる注連縄=撮影:2017/2/21 奈良市雑司町

戒壇院華厳寮に掛かる輪注連=撮影:2015/2/28
奈良市雑司町
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- 2017/02/24(金) 21:31:52|
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別火(べっか)入りの翌21日、新入を除く練行衆10名は八幡殿、大仏殿、天皇殿、開山堂を順拝します。社参(しゃさん)といい、諸堂に参籠の報告と参籠中の無事を祈るもの。広い境内を一列となって整然と歩くさまはすがすがしく威厳を感じさせます。
途中の「猫段」「大鐘の横」「法華堂下の石段」「閼伽井屋(あかいや)の横」 で四職を除く平衆は法螺貝を吹き鳴らします。
開山堂を拝したのち、
二月堂下の湯屋で心身を清め参籠の決意を固める儀式と云われる「試みの湯」を使います。次いで
二月堂の舞台から聖武天皇陵(北西方向)を遥拝。最後に本尊に合掌して
二月堂を下り、裏参道を経て新入が待つ別火坊に戻ります。
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東大寺二月堂 修二会(お水取り) 社参 2018 ・
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東大寺二月堂 修二会(お水取り) 社参 2012 ・
東大寺二月堂 修二会(お水取り) 社参 2011

和上・平岡昇修師を先頭に鐘楼横を進む練行衆=撮影:2017/2/21 奈良市雑司町

法螺貝を吹き鳴らし通過場所を知らせる練行衆(衆之一、南衆、北二、南二)=撮影:2017/2/21 奈良市雑司町

世話役の童子が待つ湯屋に到着=撮影:2017/2/21 奈良市雑司町

湯屋に入る権処世界。小綱は儀式「試みの湯」で使う交名(練行衆の名を記録)の用紙(?)を手にして最後に上がります=撮影:2017/2/21 奈良市雑司町
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- 2017/02/24(金) 15:33:43|
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二月堂修二会の本行に先立ち、「別火(べっか)」と呼ばれる前行の期間が始まりました。「別火」というのは、用いる火を世間と区別して行(ぎょう)の精進を期するもの。
別火坊(戒壇院の庫裡)に練行衆全員が泊まり込みで物心両面の数々の準備、例えば仏前を飾る南天や椿の造花作り、声明(しょうみょう)の稽古などを行います。
別火初日の20日、(初参籠の新入を除く)10名の練行衆は初夜までに別火坊に参集。今年は降り続いていた小雨が都合よく止み、練行衆が三々五々、玄関先の式台から障子の内に消えていきました。
別火は前半を「試別火(ころべっか)」(20~26日)、後半を 「総別火」(27日~末日まで)と呼び区別されます。厳しい行が2月末日まで続きます。
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東大寺二月堂 修二会(お水取り) 暇乞の社参 2016 ・
東大寺二月堂 修二会(お水取り) 暇乞の社参 2015

別火坊(戒壇院)山門をくぐる練行衆のお一人=撮影:2017/2/20 奈良市雑司町

雨上がりの玄関式台から入室する練行衆=撮影:2017/2/20 奈良市雑司町
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- 2017/02/23(木) 14:16:55|
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御田植祭(
おんだ祭)は、新春から初夏の田植前に全国各地で行われている五穀豊穣を祈る行事。田原本・
鏡作神社の
おんだ祭は「お田植舞」「豊年舞」が奉納されることや「牛追い」(馬子、牛男2人)が出て農耕をするのが特徴といえるでしょう。
稲苗として(多くの
おんだ祭で見られるように)松苗が使われます。苗植えのあと、松苗とともに田んぼの砂を「雨や~」と叫んで撒き散らします。砂を慈雨に見立てたり、牛が暴れるほど豊作だとか、豊穣を期待する心情が豊かに感じられる
おんだ祭です。
最後は賑やかにご供まきで終了します。(説明は簡単にしましたので、詳しくは下記の関連記事をご参照ください。)
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鏡作神社 御田植祭 2012 ・
鏡作神社 御田植祭 2010 ・
鏡作神社 御田植祭 2007

お田植舞=撮影:2017/2/19 奈良・磯城郡田原本町八尾

豊年舞 (実った稲を鎌で刈り取る所作が踊りに)=撮影:2017/2/19 奈良・磯城郡田原本町八尾

豊年舞 (ペアで踊る実りに感謝)=撮影:2017/2/19
奈良・磯城郡田原本町八尾

畦踏み (畦の補強。
おんだ祭に組み入れられているところは珍しい)=撮影:2017/2/19 奈良・磯城郡田原本町八尾

籾種播き (豪快に天高く)=撮影:2017/2/19
奈良・磯城郡田原本町八尾

暴れる牛、手こずる牛使い=撮影:2017/2/19 奈良・磯城郡田原本町八尾
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- 2017/02/21(火) 10:29:21|
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